2月 032011
 

1月15日(土)大安の日 安産祈願で知られる水天宮へ、お参りに出かけました。

息子の第一子の時にもまいりましたが、今回は第二子誕生の無事を念じ祈願に出かけてまいりました。
いずれも大勢の参拝者で賑わいを見せており、帰りにはお決まりの人形焼きを買って帰りました。

大勢の参拝者で賑わう 水天宮



普段は初詣もすることのない私ですが、水天宮の由来を少しひもといてみました。

日本橋蛎殻町で、安産祈願、子授けで親しまれている東京水天宮ですが、おおよそ七百年前 天御中主大神とともに、安徳天皇、建礼門院、二院の尼がご祭神として祀られているそうです。
もともと福岡県久留米市において、その昔、久留米藩有馬家の屋敷神として祀られていたようで、江戸時代、第九代藩主頼徳公の時、三田は赤羽根の有馬藩上屋敷に分霊され、以来、庶民の信仰を集め、明治5(1871)年、現在の地に移り、全国のみならず海外からも大勢の参拝客で賑わっているようです。

天御中主大神 (あめのみなかぬしのおおかみ)

そもそも遠い昔のこと、誰もその形を知らない宇宙のはじまり。
天と地も渾沌としていた時に、高天原と呼ばれる天のもっとも高い所に現れた神様が、天御中主大神であります。 日本の神々の祖先神であり、水天宮の安産祈願、子授けなどに広大無辺なご神徳をあわされます。

安徳天皇 (あんとくてんのう)

第八十代天皇の高倉天皇と建礼門院の皇子として、治承2(1178)年にお生まれになりました。生後まもなく立太子となり、数え三歳にして第八十一代天皇に即位されました。
祖父、平清盛の死後は、源氏方に追われて各地を転々とし、一時は、福岡太宰府まで落ちのびられました。
寿永4(1185)年、八歳の砌(みぎり)、祖母二位の尼に抱かれ、壇ノ浦の海中にその身を投げられました。

建礼門院 (けんれいもんいん)

父清盛と母時子(二位の尼)の二女としてお生まれになり、御名は平徳子でありました。
十八歳で高倉天皇の中宮となられました。建礼門院とは、安徳天皇を生んでしばらくしてからの院号であります。
壇ノ浦の合戦で、安徳天皇を追って入水されましたが、源氏方に海中から引き上げられました。
京の長楽寺で剃髪した後、余生を大原の寂光院で過ごされ、ひたすら平家一門の菩提を弔い、五十九歳のご生涯を閉じられたといわれます。

二位の尼 (にいのあま)

平清盛の正室で、御名を時子と申されます。
清盛の死後出家し、天皇が授ける高位の位階、従二位に叙せられたので、二位の尼と呼ばれます。孫の安徳天皇と京から西へ逃れ、壇ノ浦にて入水されました。

以上余談ですが・・・・。

監査部S.F

 

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